BEAT主義日記 the principle of beat hotei official blog

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2012年8月27日

* Londonでの新生活がスタート。

庭の林檎とプラムの木から、ほどよく赤く色づいた実を捥いで

水で洗ってそのまま頬張ることから私たちの朝が始まる。

風に揺れるラベンダーがさわやかな香りを放ち

空を見上げればどこの国からか飛んできた飛行機が真っ白いラインを描く。

キッチンではチャイコフスキーの音楽に合わせて娘が踊っている。

僕の作ったブレックファーストを家族が美味しい、と言って食べてくれる。

ロンドンでの生活がそっと静かにスタートした。


プロになって世界中を旅することを夢見て上京したのは32年前、18歳の時だった。

高層ビルのそびえ立つメガシティー東京で震えるように眠った記憶は今も生々しい。

池袋の裏路地の小さなアパートには風呂もトイレもなかった。

夜中に生音でエレキギターを弾いていると顔も知らない隣の住人から壁をドスンと蹴られた。

都会のルールに従って心で叫び、心で奏でたロックンロール。

息を殺して潜むように夢を喰らって生きるモンスターのように、

僕は何度も脱皮を繰り返しながらギターという剣をかざし、自分の道を切り開いてきた。

僕に大いなる試練とチャンスを与えてくれた東京から出てゆく心境は

ギターを片手に故郷を飛び出したあの日とよく似ていた。

淋しさと同時に胸は高まり、別れと出会い同時に訪れ、不安と希望が交錯して

世界で一番孤独な人間になったかのような錯覚を覚えたものだが

今、僕は独りではない。

多くの人に見送られ旅立つ、世界一幸せな人間だ。


2012年はロンドンの年だ。

女王陛下即位60周年、ロンドン五輪。

世界中に映し出されたロンドンの美しい街並と、人々の誇りに満ちた表情はきっと

今まで持たれていたロンドンの憂鬱なイメージを大きく変えたのではないだろうか。

「天気が悪くて食事が不味いんでしょう?」

と、一度もロンドンを訪れたことのない人も口を揃えてそう言うが、

確かに晴天ばかりではなく、一日の天気予報は

「晴れのち曇りのち雨のち所により雷、のち晴れのち曇りのち雨」

と、まるで週間予報のようにダイナミックなものだ。

これを書いている今も、さっきまでジリジリするような日差しに上半身を脱ごうかと思いきや

10分後の今はフリースを羽織りたいくらいほど冷え込んできた。

しかしこの気まぐれな天候もロンドンの良さでもあるのだ。

「come rain or come shine」

この豊かな雨とささやかな日差しが街の緑を育み、人々の心模様を彩る。

食に関しても、確かに日本のような繊細で行き届いた食文化とは比べられないが

素材を活かしたレシピや豊富なフルーツ、世界中の人種と文化と融合したカラフルな味覚との出会いは

ロンドンの大きな魅力のひとつであると言えよう。

ギターはもちろんのこと、料理の腕を磨くのも、僕の大きな楽しみでもある。


東京での生活はこの上なく快適、且つ合理的なものだった。

ネットショッピングでオーダーしたものは翌日には配達される。

消費者の立場は強く、問題が起きた際には迅速な対応がなされる。

日本人ならではの勤勉さとホスピタリティーは世界に誇る暮らしを生んだ。

しかし当たり前のことが当たり前でないとイライラするようなこともある。

快適であることが当たり前であることは、怖いことだ。


ところ変わってロンドンタウン。

当たり前のことが全く当たり前ではない。

怒りやイライラの前に笑ってしまうようなことがたくさんある。

しかし今後はこの当たり前ではないことを楽しみたいと思っている。

30年間の東京の暮らしで得たものは多く失ったものなどないにせよ、

味わうことを忘れていたものはたくさんあると思う。

一昨日さっそく、近所のマーケットに買い出しに行き、

突然の猛雨に見舞われるという洗礼を受けた。

両手に買い物袋をぶら下げて頭の先からつま先までびしょ濡れになったのはいつ振りだろう。

笑いながら雨に濡れたのはいつ振りだろう。

人目を気にせず雨の中、小躍りしたのはいつ振りだろう。


50年も生きていると日常の物事の大概の結末は予測できるようになるのものの

予想外の結末を期待する自分がいたりもする。

人生思い通りになどなるはずもなく、少し横道に逸れても何か面白いことに出くわしたい。

波風立たぬ穏やかな時間や、日々の小さな習慣の繰り返しが愛おしいのとは裏腹に、

もう一度、激しく波立つ海原に船を浮かべたい、と思うのは男だけの無謀な欲望か。


もちろん無謀な旅に家族を道連れにするつもりはない。

風に打たれ雨に濡れ凍えるのは僕一人でいい。

そこまで大げさな旅立ちでもなければ、先が見えない航路でもない。

しかしこうしてギター一本を担いで旅に出ると胸に眠らせていたものが騒ぎだす。

人生は一度きりの夢。

良い夢をみて、おやすみと言いたいだけ。


キッチンの窓辺では薔薇の花束が雨を見つめている。

「薔薇と雨」という曲を作ったのも、そう、Notting Hill Carnivalが行われるこの時期だった。


薔薇のような日々を送りたい、とは思わない。


しかし薔薇のように情熱的に生きたいと思う。


僕の人生は第何章を迎えたのだろう。


どんなストーリーが待ち受けているのだろう。


今後の展開を皆さんもどうぞ、お楽しみに。