BOφWY結成時、ドラムを募集するためオーディションが行われた。
記念すべきオーディションのトップバッターがまこっちゃんだった。
髪を突っ立てたパンク・スタイルを見て当時(今も)僕らより8歳も年上のまこっちゃんは緊張気味に
「高橋まことです!よろしくお願いします!」
と大声で自己紹介した。
今思えばあの「よろしく」は「よろすく」だったのだ。
まこっちゃんが加入してから、僕らの群馬弁は少し、福島(ふぐすま)なまりが混じり、
どこにも属さない空集合のようなイントネーションを醸し出すようになった。
(なってしまった)。
青春と呼ぶにはあまりにも強烈な、どん底からスターダムまでの道を4人で走り抜けた。
バンドが解散し、20余年の月日が流れ、2011年3月11日、大震災は起こった。
震災による被害の様子を報道を通じて知るたびに、胸が張り裂けそうになった。
そして原発事故により孤立した状態を強いられた「福島」の二文字を見聞きするたびに
まこっちゃんの顔を思い出した。
まこっちゃんのふるさとが泣いている。
きっとまこっちゃんも泣いている。
そして僕もまた、泣きたくなるのだった。
メルアドも知らないまこっちゃんがtwitterを始め、フォローし合った。
彼のひょうきんで底抜けに明るいtweetから、彼がふるさとの為に足を棒にして全国を走り回っている姿を知った。
昨年の渋谷公会堂公演にまこっちゃんが楽屋を訪ねてきてくれた。
「福島の為に是非力を貸して下さい!」と言われて僕は
「まこっちゃんのふるさとは、僕のふるさとです。なんでもします!」と答えた。
30周年のファイナル公演、さいたまスーパーアリーナに彼をスペシャル・ゲストとして招いたのは
集まってくれた1万2000人のオーディエンスに、そしてライブビューイングに参加してくれた全国の皆に、
まこっちゃんの思いを知ってもらいたい、という気持ちからだった。
本番直前に、高校時代応援団長だったまこっちゃんに、ステージから福島に向けてエールを送ってほしいと頼んだ。
「いいのかい?」と少し照れくさそうに言った彼だったが、アンコールの最後に立派なエールを送ってくれた。
その背中を見ながら僕は、また泣いてしまった。
その夜の打ち上げでまこっちゃんから
「福島でライブをやりたいので是非参加してほしい」
とお願いを受けた。
断る理由はどこにもなかった。
震災から一年余経った3月24日。
僕らはまた同じステージに立った。
それは「福島」という、僕らのふるさとのステージで、笑顔でBEATを分かち合った。
デビューして30年の間、僕らは日本中を駆け巡った。
どの町に行っても、僕らを、僕らの音楽を待っていてくれるファンがいた。
どの町も、僕らのふるさとだ。
日本が僕らのふるさとだ。
音楽の力を信じて、これからもふるさとの為に、ロックンロールをシャウトし続けたいと思う。
がんばっぺ!ふぐすま!
がんばっぺ!まごっちゃん!