一週間のロンドン滞在。
英国人の友人も皆、大震災後の日本のことをとても心配してくれた。
英語のボキャブラリーの少ない自分なりに震災のもたらした痛々しい爪痕を説明すると
皆「あの美しい日本が!信じられない」と嘆き、復興を心から願うと言ってくれる。
そして原発問題に対し「今、一体どんな状況にあるのか?」と質問されると
「ところがそれがよく判らないのだ」と歯切れの悪い返事しか出来ない自分に驚く。
実際、本当によく判らないのだ。
政府や東電から発表される内容はどれも辻褄の合わぬことばかりで、
一体日本が今、そしてこれからどうなってゆくのか、日本語でも説明出来ないことが
英語で説明出来るはずがない。
「よく判らない?」
皆、揃って怪訝そうな顔をする。
よく判らないって、一番怖いことではないのか。
そう。私たちは不安の中に生きている。
不安は怒りとなり、怒りはさらなる不安を呼ぶ。
いわゆる「負のスパイラル」だ。
ロンドンはロイヤル・ウェディングがあったり、アイスランドの噴火の影響があったり、
リビア情勢問題、テロ警戒、そして来るべくロンドン五輪の準備等、
様々な事項と面していながら、何世紀も続いた揺るぎない風情はそのままだ。
ヨーロッパの中心であり続けた歴史が、今も力強くロンドンを支えている。
今回街を歩いていてつくづく思ったのは、日本人とすれ違うことが本当に少なくなった。
ひと昔はどこへ行っても日本人だらけで、有名ブランドショップでは店員に向かって平然と日本語で
あれこれと注文をつける客をよく見かけたものだ。
今やアジア人と言えば中国人。
機内の映画のサブタイトルや、エレクトロニクスの説明書、エアーポートでの注意書きや、レストランのメニュー等、
昔は日本語が必ず載っていたところがすべて中国語になっている。
JAPAN AS NO.1の時代はもはや昔話。
しかし日本人はどこかで未だにその気分を引きずっているところがあり、それが命取りになるまいかと心配だ。
母国の厳しい現状を受け入れるのは辛いことだが、外にでると日本がいかに困難な状態にあるかを再認識させられる。
明確にスイッチを入れ替えて、今までとは違う方向に今こそ進まなければ
日本の未来は本当に暗いぞ、と心底感じた今回の渡英だった。
そして帰国すれば「内閣不信任案」である。
国難を目の前に、何を思っての行動なのか理解に苦しむ。
現状を打破するための改革をと、政治家たちはいつも声を荒げるが
「ここではないどこへ」「誰ではない誰と」向い委ねようとするのか誰も明言せぬまま
「今のままではダメだ。これは誰それの責任だ!」とばかり繰り返す。
外から見たら「一国の危機に及んでも政治家たちが心を一つにしようとしない」国であり、
「お気の毒にねぇ...」と憐れまれても仕方ない。
あぁ、ため息。
毎回、ロンドン帰りの時差ボケはキツい。
しかしこればかりは逆らっても仕方ない。
夜中に目を覚ませばネットやTWITTERで震災、原発関係の情報を調べる。
毎日復興に向け力尽くしてくれている人々の姿や声。
政府の対応への不満や、原発廃止を唱える声。
震災から数ヶ月、皆そのショックから逃れたい。けど逃れられない多くの人々。
そうでなくても生きてゆくということは大変なことなのだ。
数々の不安な事柄を朝起きた瞬間から寝る間際まで考えているのだから、心も疲れる。
そんな中、娘の運動会の日がやってきた。
ほぼ一睡も出来ずのまま、力の出るような朝食を作り、見送る玄関では親バカにも
「フレー!フレー!!!」と応援団のように大声でエールを三唱し、
「近所に聞こえるよ!恥ずかしいからやめてよ...」と呆れられた。
青空の下、全校生徒が集まって、力を振り絞って跳び、走り、踊る!
我が娘は短距離でもリレーでも奮闘し一位となり、父は絶叫!(笑)
小さな一年生の可愛い玉入れや、高学年生の迫力のあるリレー、
リズミックな豪快に踊りや、力一杯の応援合戦!
そして最後の組体操には涙が止まらなかった。
『力を合わせて一つになる』ということ。
支え合い、信頼し合い、誇らしく、声高らかに胸を張り、成し遂げる。
我々も昔、彼らのように強く真っすぐな心で、前だけを向いて走っていたこと思い出すと
自分を含む今の大人達の頼りなさが、恥ずかしく、申し訳ない。
震災後ということもあり、子供たちの無限の可能性をしみじみと感じ、
彼らの為により良い環境を残すことこそ、我々大人の最大の仕事と痛感する。
昨日はルーリーを連れて久しぶりの海へ。
風の強い海ではウィンドサーファー達が豪快に帆を走らせていた。
心を鎮める為の場所だったビーチハウスからの眺め。
今はまだ、心がざわめく。
『MEMORIES』の詩を書いたあの日のような、心を溶かしてくれるような穏やかで眩しい海は
いつ帰ってくるのだろう。
いつものように、今日も朝が来る。
しかし同じ朝は2度とない。
おはよう。
おやすみ。
一日一度ずつ、誰かにそう言えることがどれほど幸せなことか。
時差ボケの早起きが嬉しい毎日だ。