BEAT主義日記 the principle of beat hotei official blog

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2009年11月 6日

* ただいま。

今回は3泊4日の短い滞在だったが、相変わらずロンドンは居心地が良くてリラックスできました。

マスタリングはいつものようにメトロポリススタジオ。
2009年は1月にも『ギタリズムV』の仕上げの為に、そして8月にもプライベートで訪れているので、今年3回目となります。

機内では読書&映画。

book.jpg

素晴らしい本です。
心がギュッと締めつけられる。
静かな感動の後に、風が背中を優しく押してくれる。
爽やかな救いとでも言おうか。
とにかくお勧めの一冊です!
どうぞ皆様も是非お読みになって。

映画は話題の『THE BOAT THAT ROCKED』/邦題は『パイレーツ・ロック
噂通り、いい映画だった。
KINKSの『ALL DAY AND ALL OF THE NIGHT』から始まる大人のファンタジー。
今回のアルバムでカバーしたのは偶然とは言え、あの曲の持つ荒々しくも切ないビートがシンクロしたのは嬉しい。
最後に主人公達が各々「ロックンロール!」と叫ぶシーンには胸が熱くなった。
こちらも永遠のロック少年、ロック少女には必ず観て頂きたい。

ヒースローからホテルに向かう車のドライバーと世間話。
「お仕事での滞在ですか?」と尋ねられ、レコーデイングの最終作業だと答えると、
「私も昔ギターを弾いていました!!!私の大好きな曲を聴いてください」
とカーステレオの音量を上げて車内に轟いたのは、フォーカスというバンドの『シルヴィア』という曲。
懐かしいっ!昔コピーしたなぁ!すっかり忘れていました。
この時このドライバーが聴かせてくれなかったら一生思い出さなかったかもしれない。

『SHOGUN』という知人のレストランでお寿司をいただき、部屋に戻ってTVをつけると、ヤンキース対フィリーズ戦!
優勝に向けての期待が高まる。

時差に逆らうことなく早朝に目覚めて、目の前の公園に行こうと着替えてカーテンを開けると生憎の雨。
雨のロンドンも悪くない。

rainypark.jpg

『スコルピオ・ライジング』というアルバムに「LONDON BLUE」という曲がある。

   パンク・ロックとダンディズム ヴィヴィアンと美術館
   憧れの街へ NOW I'M HERE! NOW I'M HERE

   東京の暮らしで 忘れたものや
   見失ったものが きっとここにある気がする

   B&Bの朝食も 冷たいシャワーも
   小さなPUBも NOT TOO BAD! NOT TOO BAD!

   皮ジャンのポケットに 両手を突っ込んで
   見知らぬ道を あてもなくただ歩き続ける

   突然暗い空 HERE COME THE RAIN
   浮き立つ心なだめるように
   雨音が奏でるラプソディー
   人生はうたかたのオペラ

   I... I JUST WANNA DANCE, DANCING IN THE RAIN
   ずぶ濡れで踊りたい
   I JUST WANNA DANCE, WITH MY BROKEN WINGS
   オリジナルのステップで



まさにロンドンは自分にとって憧れの街だった。
ロンドン・ポップに射抜かれて、自分はギタリストになり、今もこうして生きている。

マスタリング・エンジニアのイアンは生粋の英国人気質の人。
英国人のギリギリのセンス・オブ・ユーモアは、苦手な人にとっては最悪のものだろう。
かれこれ長い付き合いの間柄の俺たち。
きわどい会話を楽しむ。

マスタリングの途中、イアンはずっと喋っている。
たわいもない話から、ドキッとするようなロック・ジャイアンツ達のエピソードまで。

ミルクティーが運ばれてきて、何故英国人はこんなにたくさんミルクを入れるの?と聞くと
マズイからミルクで紅茶の味を消すのだと言う。
何故?紅茶は英国を代表する文化の一つだろう?と聞けば、
この国のほとんどの人々はティーバッグでお湯に色を付けて飲んでいるだけだという。
フムフムなるほど、日本のスタジオでも緑茶、玄米茶、ほうじ茶、どれもティーバッグでしか飲まない。
香り高い静岡の銘茶を時間をかけて淹れて飲む機会はごく稀だ。
話は古い録音機材の話しへ。
そこから伝説のプロデューサー達の逸話へと繋がる。
トニー・ヴィスコンティ、トム・ダウドといった人たちが、いかに音にこだわりを持っていたか。
真剣な眼差しで語られる数々のエピソードは、分厚い英雄物語を読み聞かせてもらっているようで、ワクワクしてしまう。
DAVID BOWIEの『スケアリー・モンスターズ』の構想は『HEROS』を作っている頃には
すでに出来上がっていたという話は興味深かった。
エリック・クラプトンがフェラーリを運転してスタジオ入りする時、スタッフが皆楽しみにしていたのは、今日は何分で車庫入れできるか?そして今日は助手席にどんな女の子を乗せているか?だったという(笑)。
どこまでホントかは定かではないが、一つ一つのエピソードがキラキラしているのもロックン・ロール・ワールドでの出来事だからだろう。

何曲かEQのポイントや定位の具合など気になるものがあり、別の方法でチャレンジしてもらえないかと頼むと、イヤな顔ひとつせず黙々と違うアプローチで応えてくれる。
マエストロの手により、すべての曲が輝きを増し、アルバムは完全なものとなった。

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左下に見えるのが思い出のキャンティーン。

このバーでよくジャムセッションをしたものだ。
QUEENのブライアン・メイと会ったのもここ。
ストラングラーズのヒュー・コーンウェルのバンドの連中とジャムした翌日、ヒューから
「俺のアルバムで弾いてくれ」
と誘われた。
エイジアのレコーディングに参加したのも、ジャムセッションがきっかけだった。
マイケル・ケイメンと『ギター・コンチェルト』を仕上げたのもここ。
「POISON」のPVで出てくるエレベーターもここ。
真夜中、独りスタジオでギターを弾いているとき、アシスタント・エンジニアが入って来て
「録音しましょうか?」
と訊かれ、「うん、頼むよ」と一筆書きのように作ったのが「GUITAR LOVES YOU」という曲。
清志郎さんと一緒の時期にレコーディングしていたこともあり、よくスタジオにお邪魔したっけ。

このスタジオには、語りきれないほどの思い出がある。

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翌日はホテルでサイモンとランチ。
NOBUは相変わらず混んでいる。
サイモンには今回2曲のストリングスをアレンジしてもらった。
15年前、うちの事務所の主催の『東京湾花火大会を屋形船で観る会』にサイモンも浴衣を着て参加。
屋形船の上で随分と飲んだ後、陸に上がってもうイッパイしている最中、彼は今の奥様のクレアにプロポーズをしたのだった。
あれから15年...。
彼とも色んな仕事をした。
彼の子供達も随分大きくなったとのこと。
息子はもうすぐ父の背丈を追い越すらしい。

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最終日はSavile Rowへ。

背広の発祥地とされる英国紳士御用達のテイラーが並ぶ伝統のストリート。

お目当てはリチャード・ジェイムスとオズワルド・ボーテングのスーツ。

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スーツを選び、シャツとタイの組み合わせを店員と一緒に考える時間が好きだ。

リチャードジェイムスでは美しいチャイニーズ(?)の女性が担当してくれた。
自分はミュージシャンだとは言わなかったので、彼女の視点でのシックなチョイスが新鮮だった。

一方オズワルドでは素性を明かしたので、黒人の店員たちはノリノリで派手な色ずかいばかりを勧めてくる。
シャープで美しいラインのスーツ達。

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左の彼はKILL BILLのサントラが大のお気に入りで、バトルが自分の曲だと知ったら急に踊りだした。(驚)

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何度も通ったこの街。

しかし随分と自分も変わった。

昔ならまずはキングスロードに直行し、鋲打ちの革ジャンを探した。

カムデンマーケットに行って、フェイクファーのロングコートを探した。

ディスコで踊りまくり、その後は友人たちとパーティーのはしごをし、朝まで飲んで騒いでいた。

帰りの飛行機にはいつも乗り遅れそうになりながらも、免税店でメンソールのタバコを買い込んだ。


そんなワイルドな時代を思い起こしながら、セヴィル・ロウのウインドウに飾られたスーツのシルエットを見つめている自分がいる。

美術館の静けさに心洗われる自分がいる。

PUBに入れば、ビールのパイントではなく、スコッチをストレートで頼む自分がいる。

空港では葉巻売り場に立ち寄り、少し本数を減らさなければ、と何も買わず立ち去る自分がいる。


街並も、自分も、随分と変わったかもしれない。

しかし、『パイレーツ・ロック』の冒頭で鳴るKINKSの強烈なギターリフのように、我が人生は今もビートを刻んでいる。




嗚呼、ロックン・ロール!


今でもロックン・ロールに恋してる!!!