オーディエンスの皆さんが純粋に我々の音を楽しんでくれることを、本当に嬉しく、誇らしく思います。
母の話。
母はここ数年足の調子が芳しくない。
ゆっくりと一歩一歩用心して歩かないと、つまずいたり踏み外したりして転倒などしては一大事。
それを彼女はとても気にしていて、人が大勢いる場所に出かける事に消極的になっている。
それがたとえば近所の公園だったとしても、小さな子供が走って来てぶつかりでもしたら、その子供に迷惑をかける。
毎回楽しみにしている息子のライブも、階段や通路でノロノロしていたら、他のお客さんや関係者の迷惑になるから申し訳ない、と思っている。
ツアー初日に誘ったけれど、「私はもう少し足の具合が良くなってから出かけます」と遠慮された。
息子のライブとは言え、音は大きいし、ライトは眩しい。
クラシックやオペラのような、静かに心を満たす音楽とは対極にある鋭角的なスタイルだ。
無理に誘うのもどうかと、その時は「そうか。わかった。また誘います」とそれ以上の言葉を返せなかった。
しかしツアーも中盤を過ぎ、各地で熱狂的なファンの皆さんと至福の時間を重ねる度に、母に観てほしいと思う気持ちはつのる一方だった。
まだ元気でいてくれるとはいえ、彼女があと何回自分のステージを観る事が出来るだろうか?と考えると、胸が苦しくなる。
中学、高校と、勉強そっちのけでギターに熱中する息子を、母は何も言わず見守ってくれた。
高校を中退し故郷を飛び出し、東京で一人暮らしを始めてからも、お金が無くなれば結局母に泣きつき、次の日には必ず口座に幾らか振り込まれていた。
ロフトにも、渋公にも、武道館にも、東京ドームにも、彼女は足を運んでくれた。
何万もの観客が「布袋ー!!!」と叫ぶたび、その全員に「ありがとうございます」とお礼を言いたくなるの、と言っていた。
ツアーのオフ日、いつものようにルーリーと散歩に出かけ、近所に住む母に電話を入れた。
「散歩中です。そばに居るからちょっと寄ろうかな。」
マンションの入り口で待っていると、いつもより少し足取りの軽い感じで彼女が歩いてきた。
「あれ?なんだか元気そうだね?」
と言うと少し照れくさそうに
「最近、毎朝少しずつだけどリハビリを兼ねて近所を歩くようにしているの」。
彼女は俺のステージが観たくて、あれほど重かった腰を上げて、毎日の散歩を始めたに違いなかった。
今年の母の日は旅先にいて電話は入れたものの、花は贈れなかった。
「お母さん、今年の母の日のプレゼントは車椅子付きのコンサートをプレゼントするよ」
え?っと一瞬戸惑いを見せたものの、フワッと笑顔が広がった。
「恥ずかしいわ。迷惑かけてしまうだろうし...」と相変わらず遠慮する母。
「いいえ。コンサートには車椅子の方も沢山いらっしゃるんだよ。最近は会場も段差なく客席まで車椅子でいけるところも多いんだ」
かくして、和光のコンサートに母は車椅子に乗って来た。
ライブの始まる前、場内に沸き立つ布袋コールに、母はきっとまた
「ありがとうございます」
と何度も呟いたに違いない。
今日は娘の運動会。
母の手を取り、ゆっくりと学校まで歩いた。
「なんだか恥ずかしいわ」
と何度も呟いていた彼女。
運動会が終わり、母の居る席に迎えに行くと、そこに母の姿はなかった。
「お母様は一人で先にお帰りになりました」と係のがおっしゃった。
すぐに「大丈夫です。もう家に着きました。御心配なく」との電話が来てホッとした。
きっと迷惑をかけたくない一心で、必死で一歩を踏みしめて帰宅したのだろう。
母は昔からそういう人だ。
公園に咲く紫陽花を見て思う。
なぜだろう?
母は「紫陽花のような人」というイメージ。