母の愛犬、カズが亡くなった。
阪神大震災で飼い主を亡くしたカズを母が引き取った。
その後、小さな地震の揺れにも怯えていたという。
14歳。人間の歳になぞえると72歳だそうだ
最近は目もかすみ、トイレや食事も母の手を借りずにはできずにいた。
最期は母の腕に抱かれ、静かに眠るように息をひきとったそうだ。
家族全員が集まり、最後のお別れをした。
妹は最後まで涙を浮かべて
「本当にもう動かないよね?」
と別れを惜しんだ。
欧米では、夫婦に子供が産まれた年に、犬を飼う習慣があると聞いた。
子供は自分の成長と犬の成長を共に感じることができる。
そして命は限りあるものということを動物の死を通じて学ぶ。
子犬の頃は無邪気でやんちゃな犬も、年を重ねるとだんだん穏やかになり、
10歳を越える頃には老犬となり、足取りも重くなる。
一緒に走ろう!といっても、犬はもう走れない。
しかし家族に看取られ、死んでゆく犬や猫は幸せだ。
毎年数十万頭の犬や猫が、保健所での殺処分を受けている。
ガス室で窒息死、もしくは薬物によって処分される。
最期を看取るのが辛い、といって最後の最後に保健所に連れてこられる犬猫も多いらしい。
ネットで『保健所 殺処分』と入力し検索すると膨大な数のページを目の当たりにすることになる。
いつかは必ず訪れる「死」。
最近は人間も自宅で最期を迎えることはほとんどなく、病院で生まれ、病院で死ぬのが当たり前になった。
なんだか不条理な気がするのは自分だけだろうか?
東京では桜が少しずつ咲き始め、春の到来を温かな気持ちで見つめている。
公園の桜の下、花見で浮かれる人々の笑い声。
少し離れたベンチに老夫婦が仲良く座ってそれを眺めている。
それぞれの春。
想いもまた、それぞれだ。