群馬の新島学園時代の3期先輩、小林径氏だ。
彼の先鋭な感覚を通じて、数々のアーチストを知った。
「これを聴いてごらんよ」
と薦めてくれるのは、どれも風変わりで奇妙なものばかり。
かくして俺は中学生にしてROXY MUSICや10CC、
ブリジット・フォンテーヌやセルジュ・ゲインズブール、
ノイだのカンだのタンジェリン・ドリームだの、
同級生とは到底話の接点を持てぬ趣味趣向を身につけてしまい、
そのままひねくれたままの感覚を持って、音楽を聴いている。(径さん、ありがとう)
ビートルズもストーンズも、J-POPもインド歌謡も、民謡もハワイアンも、
決して直接的ではなく、どこか屈折した、ねじ曲がった聴覚を通じて、
ウキウキワクワク、ドキドキハラハラ、往々にして冷めた気分で聴いている。
音楽を作る時も、そんな感じだ。
アバンギャルドな気分でいたずらをしている。
思えば長年にかけてかなりマニアックにアナログを、 CDを収集してきた。
その数は、数えたくもないくらい。
今年はそのすべてを破棄してしまおうか、と考えている。
塵のようにとは言いたくないが、生きていると色々なものが蓄積されていく。
思い出もしかり。
音楽も思い出も、その人にとってかけがえのない財産であることに間違いはないが、
どちらも形のないものだ。
実際、自分の聴きたい音楽は自分の中にあり、いちいち古い棚からレコードを引っ張りださなくても
記憶のジュークボックスは、いつでもあのイントロを奏でてくれる。
思い出は目を閉じれば見えるもの。
無数の笑顔と涙が、まぶたの裏のスクリーンに止めどもなく映し出され、
胸を締め付け、満たしてくれる。
今日の楽園のウォーキングBGMは『Alpha/The Impossible Thrill』
目で波の音を聴いている。
HAVE A NICE DAY